「J2降格について自分に責任を凄く感じていたし、チームを見捨ててJ1チームに移籍することはこのまま男として絶対にできなかった」
これが、ワールドカップ出場を狙えるだけの実力を持ちながら、J2降格が決まっているヴィッセル神戸に残留した理由について聞かれた時の彼の答えだ。 思えば、彼のサッカー人生には常に何らかのターニングポイントが存在した。横浜フリューゲルスの合併・消滅、東京ヴェルディ1969時代後半における代表に選出されながらもクラブで出場機会に恵まれないジレンマ、そしてヴィッセル神戸でのJ2降格・・・ その中でも、ヴィッセル神戸のJ2降格はクラブにとって、そして何より三浦自身にとってショッキングな出来事と言えるだろう。なぜなら、ワールドカップはその翌年に迫っていたからだ。 「J2のクラブに在籍していると代表に召集されない」これは、ある種暗黙の了解のようなものだ。実際、ジーコ監督時の日本代表でJ2から招集された選手はサンフレッチェ広島のGK下田ただ1人である。三浦自身はJ2からの代表入りを目指していたが、現実的に見てそれは厳しいものだった。 三浦は横浜F・マリノスに加入した1999年に代表に初選出されると、その後も代表に定着。東京ヴェルディに移籍し、日本代表がトルシエ体制からジーコ体制になった後もコンスタントに召集され続けた。当時左サイドバックでの守備を不安視されていた三都主に替わって出場することも多く、また複数のポジションをこなせることから貴重なバックアッパーとして重宝されていた。 そして控えという立場でも決して腐らずに練習に取り組む姿はチームメイトからの尊敬・信頼を集め、アジア最終予選アウェーでのバーレーン戦前にレギュラー組とサブ組の間で衝突が起こった時も、「試合に出たい。だからこそ出てる人間には、しっかりやってほしい。おれはW杯に行きたい。だからこのチームのためにできることをやろうって心から思っている。もっと必死にやろうよ」と自身の想いを打ち明けチームの雰囲気を変えたように、チームの精神的支柱としての役割も担った。 そして日本代表はアウェーでバーレーンに勝利し、その後北朝鮮に勝利したことでワールドカップ出場を決めた。三浦が目標であるワールドカップ出場がついに手に届くところまで来た。 しかし、ワールドカップ出場を決めた2005年に、所属クラブのJ2降格というまさに「天国から地獄」を味わった。三浦にはJ1のクラブに移籍するという選択もあったはずだ。彼ほどの選手をJ1のクラブが放っておく訳もなく、三浦の故郷・大分にある大分トリニータへの移籍の噂も挙がっていた。 それでも、三浦はヴィッセル神戸に残留することを決めた。チームキャプテンとしての責任、そして「男」としての責任が三浦をヴィッセル神戸に引き留めた。 そしてJ2で迎えた今シーズン、横浜FC、柏レイソルとともに激しい昇格争いを繰り広げている中で、キャプテンとしてチームを鼓舞し続けている。世界でも限られた選手しか蹴ることのできない「無回転シュート」の精度も健在で、特に先日の鳥栖戦でのゴールは早くも語り草となっている。「男として」ヴィッセル神戸に残った三浦淳宏。そんな彼の雄姿をJ1で見ることができる日は、そう遠くはないはずだ。 三浦がJ2で戦っているさなかに行なわれた2006年ドイツワールドカップ、日本代表はグループリーグで早々と敗退した。その中の敗因として、レギュラー組とサブ組の確執、選手の孤立などが囁かれた。これを聞いた時に真っ先に浮かんだことは「このメンバーの中に三浦がいれば・・・」ということだった。 <編集タハラ> by copamagazine | 2006-10-10 01:58 | 『J』 league
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